212号線は渋滞もなく予想以上に快調なドライブ。深山渓谷的な風景にも時折出会い母も窓外の風景を楽しんでいる様子。70過ぎの母はまだ日常生活では何の不自由もないものの、足腰がやや弱ってきたみたいで、ハウステンボスへ連れて行っても私一人で歩くときの倍以上の時間をかけてゆっくりとつきあってあげないといけない状態。イベントのハシゴなどしようものなら、後からキツカッタねェと言われてしまう。。。私としてはかな~りゆったりしたプランを組んだつもりであっても。
今回の旅行に際しても、健康不安からかなかなかゴーサインが出なくて、ようやく行こうという気になったのは11月に入ってから。流石湯布院、この時期2,3週間前だと殆ど空室なし。その中で探し回ってようやく予約できたのが、今日訪れる宿。良さそうな宿だけど、どんなとこかは行ってのお楽しみ。
今回の旅行でもなるべく歩かないですむようにとのリクエスト。車は途中停車させることなく青の洞門へ。
対岸のドライブインのようなところに車を止めた方が良かったかな?そこから洞門へ橋(そこからの風景)がかかっているのですが、それを利用した方が良かったような。。。
洞門への向かう小道の入り口付近で少々渋滞。このトンネルは交互通行になってるようで、その関係と、洞門の所の駐車場が満車状態だったのが、渋滞の理由みたい。左の写真は禅海上人らが作った青の洞門ではなく、新しく(といっても古い道?で、今は対岸の新道?の方が主要道路になっているようです)作られた道らしいのですが、雰囲気のある道です。
現在の洞門を通り抜けた所に無料駐車場とお土産屋さん(覗いていないので良くはわかりませんが)などがあります。
ここにしばし駐車して(短時間ですが)散策しました。ここから見る岩肌も、昔難所であったことを十分にしのばせるものです。
写真はありませんが、川端も整理されていてピクニック気分でゆっくりできそうな場所です。
ここから再び洞門の方へ徒歩で向かいました。
途中、禅海上人の銅像がありました。記念撮影スポットですね。
菊池寛の小説「恩讐の彼方に」もあって知られる青の洞門と禅海上人。幼い頃に読んだ話の舞台に立つのは感慨深いもの。菊池寛の小説の話をしながら見とれたり、写真を撮ったりする人の姿が。
母も久しぶりと懐かしそう。私には初耳の話でしたが、娘時代に来た事があるとか。母の娘時代って。。。
そのあたりから見上げると。。。
そびえる岩肌の真ん中あたりに横に一本の筋が見えませんか?どうやらあれが青の洞門ができる前の道!?だったようです。
むかし、樋田から青(いずれも今は本耶馬渓町)へ行くには、岩かべにつくられた(鎖渡し)の道をわたらなければならなかった。
この道は、山国川の上にそそり立つ岩かべにそってつくられた道で、ここをとおるときは、岩かべにはられた鎖を命づなにしてわたっていた。それで、村人たちは、この難所を(鎖渡し)とよんでいた。
鎖渡しで、足をすべらせて、下の山周川におちて死ぬ人があとをたたず、だれもがこまっていた。
ってあるのですが、あそこがその鎖渡しだとすると確かに危険すぎる感じ。。。でも「鎖渡しと呼ばれる難所で命を落とす人馬を見て」と書かれているところもあるのですが、あんなとこ馬は通れんでしょ?義経でも無理では?
昔の地形とはずいぶん変わってるところもあるのでしょうから、昔はあんなところを通らないといけなかったのでしょうね。
あれを見ると洞門のありがたさがより実感できるように思います。
現在の洞門の横にひっそりと槌痕の残る昔の洞門も一部残されていました。

知らないと見落としてしまいそうな表示。

ここを下っていくと。。。
完全に当時のままとはいかないのは当然なのでしょうが、雰囲気は感じ取ることができます。
仮にすべて当時のまま残されていたとしたら、受ける感動は比ではなかったでしょうね。
広く知られている青の洞門の話は、菊池寛による創作の部分も多いみたいで、史実には不明な点もあるようですが、こんな話もあります。
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